ただただ純粋な幼馴染と
基本情報
著者 谷川史子
短編 『両手でもたりない』1992年 りぼん
書籍 『各駅停車』紙:1992年 集英社 / 電子:2015年 同社
冒頭
中学1年生の主人公・鼓太郎は同じ学校に通う異性の真澄と幼馴染
でも、好きで幼馴染になったのではなくたまたま家が隣同士だっただけ……
今日も鈍い真澄は登校前にドタバタと部屋まで起こしに来る——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
好きで幼馴染になったんじゃない
思春期特有の照れ臭さはいつ何時摂取しても良いですね
過去という手の届かない遠くの場所に置いて来てしまったからでしょうね
甘酸っぱいという表現はよく思いついたものだと思う
主人公・鼓太郎に幼馴染がいるというのも本来は貴重な環境
しかし実際に体験しているその時にはその尊さに気づかないもんです
例えば、学校なんて面倒だし飽きてしまったし……と個人的に当時は思っていましたが、同じ年齢・境遇の子たちとあんなに密に過ごせる環境なんて二度とない
でも考えてみれば、今現在の暮らしも何十年か経ってみれば(あの時間をもっと大切にしておくべきだった……)と思うはず
だから、人生を楽しむためには一瞬たりとも気を抜けない
これは誰かが始まりのゴングを鳴らしてくれるわけじゃないですが、絶対に挑むべき闘いです
そんな教訓を与えてくれるのも漫画をはじめとする芸術の素晴らしさです
大人になったら叱られることも少なくなり、忠告を与えてくれる人間の貴重さを今さら思い知りました
そして芸術に忠告された場合、ガツンと心に響くのに、少しも嫌な気持ちがしない
幼馴染が朝起こしに来る
一緒に登校する異性の幼馴染が朝にドタバタと部屋まで起こしに来るシチュエーション(長いな)ってあるあるですが、あるらしいと噂に聞いていたくらいのもので、それを実際に作品において目の当たりにしたのは初めてです
誇張なしに感動しました
子どもの頃、初めて動物園でゾウやキリンを見た時のように
過去の読書体験から、少女漫画はさまざまな古き良きが受け継がれやすい媒体である気がしています
だからこそ少女漫画っぽさという概念が存在し(しますよね?)、しばしば話題になることがある
なぜだろう?
統計もありませんし難しい問題です
個人的な感覚では、第一線で活躍する少女漫画家の方の多くは、先人の価値を尊重する——つまりリスペクト——の気持ちを強く持っておられるように感じます
これは理屈を抜きにした風紀ですね
日本の電車が時間通りに発着するのと同じ
そこには真剣に取り組むという厳しい自戒がある
奇しくもこちらの短編『両手でもたりない』が収録された書籍のタイトルも『各駅停車』です
上手い着地になりましたね(そうでもない)
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