博士が愛しているもの
基本情報
著者 羽海野チカ
短編 『はなのゆりかご』2001年 Be Street
書籍 『スピカ 羽海野チカ初期短編集』紙:2011年 白泉社 / 電子:2013年 同社
冒頭
キオクを消す薬で立派な科学賞にノミネートされたトゲ谷博士が町の店に現れた
フロッティーズのローズティーを注文していたようだが、店が準備したのは別のローズティー
すると博士は怒りを露わにし帰ってしまう——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
頼んだ紅茶とは違っていて
関係のないようで関係のある話
自分らしさって言葉をよく耳にします
それどころか「あなたらしさを大切にしよう」なんて訳知り顔でアドバイスされたりもします
でも常々(「らしさ」って結局どういうことなんだろう)と首を捻ってしまう
哲学的なテーマです
ただおそらく、早い話が、その人らしさってその人の好きなものと嫌いなもので決まるんですね
トゲ谷博士の奥さんはフロッティーズのローズティーが好きなようです
そしてトゲ谷博士はそれを好きな奥さんにもたらすためにこれだけ怒っている
つまりトゲ谷博士が奥さんをそれだけ愛しているということ
紅茶ひとつで、2人のキャラクターの好きなものが提示され、ひいては彼ららしさが読者に伝えられている
コマの形をご覧いただくと、長方形ではなく台形になっており、またトゲ谷博士の胴体や手はコマを飛び出していることがお分かりいただけます
コマを引用するためにトリミングをしようとして気づいたのですが、こちらの短編漫画『はなのゆりかご』に限らず、羽海野チカ氏の漫画ではこのようにコマの形が独特で画やフキダシが(まさに)枠に収まらないケースが多いです
これによって、まるで紙面から飛び出すような躍動感があり、読んでいてワクワクさせられる
単純なテクニックなようで、おそらく実はセンスが光る職人技です
威張りくさっているという批難
不穏な空気から物語が深まっていきます
登場人物同士の軋轢は物語のスパイスですね
愛すことと憎むこと、そのどちらも同じくらいの力で受け手(読者)を惹きつけるというのも皮肉な話ですが
実生活においては、誰かと誰かが揉めていると、自分がそのいざこざに無関係であってもあまり良い気はしません
楽しい雰囲気で過ごせないし、もしかしたら自分にも火の粉が降りかかるかもしれない
憎しみそのものも、まるでその存在がこの世界を否定しにかかっているようで、正直気が滅入ってしまいます
しかしフィクションにおいては、そういったマイナスの感情が提示されると物語の基礎が出来上がっていくようで期待感が膨らみます
結局、先述の実生活においての場合と逆で、フィクションだったら不和が起こっても受け手(読者)である自分が取り持って空気を良くしければならないというプレッシャーに駆られることはないし、物語の中で起こるトラブルに巻き込まれることも100%ありえない
俯瞰というやつですね
考えてみると、この良い意味での都合の良さ——ある時は物語に没頭して、ある時は心理的に距離を置く——を作用として与えてくれるのが芸術の素晴らしさであり、芸術を私たちの精神的な隠れ処たらしめているのかもしれません
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