手塚治虫『ラインの館にて』

人生がを巻くとき



基本情報

手塚治虫『火の山』講談社 手塚プロダクション 表紙
引用元:手塚治虫『火の山』講談社 手塚プロダクション

著者 手塚治虫

短編 『ラインの館にて』1972年 女性自身

書籍 『火の山』紙:1983年 講談社 / 電子:2014年 手塚プロダクション

冒頭

商社の海外出張員である夫の出張に付き添いドイツへ訪れた主人公

ライン川を船で下っているとかわいいお城が見える

足を運んでみるとまるで教会のようで結婚式をまた挙げたくなるほど素敵だが——

感想|グッとくるコマ【序盤より】

手塚治虫『ラインの館にて』の1コマ ドイツが舞台
引用元:手塚治虫『ラインの館にて』-『火の山』講談社 手塚プロダクションより

ドイツが舞台

 

コマに映っているのはライン川で、舞台はドイツです

ですからドイツと言えばの美しい城が登場し、物語の重要なキーとなります

読むとをしているようで素敵です

 

海外が舞台となる作品は手塚治虫氏が手がけたものに限らず世の中にたくさんあります

そして私はその作品の舞台が異国である必然性について考えることがあります

(これって別に日本で物語を展開してもよかったんじゃない?)みたいなことですね

 

なぜかと申しますと、異国だと(当たり前ですが)日本と勝手が違いますから、読者である我々としてもその国の雰囲気に馴染む努力を要求されるからです

それはもちろん著者も同じで、自分の生まれ育った国であれば何十年も経験がありますから自国の文化やら何やらは充分に知っていますが、海外だとそうはいかない

ですから大変な取材をなさっているのでしょうが、それでも国のギャップから違和感が生まれることは多々ある

 

最近、海外のゲームデベロッパーが日本を舞台としたゲームを作ったけれど、日本人から「ウチはこんな国じゃないよ! もうちょっとよく調べてくれ!」と批難が集まった……という悲しい出来事がありましたね

逆に言えば、日本人のクリエイターが海外を舞台とした作品を作って、現地の方に「おいおいリアルと全く違うよ」と嘆かれているケースもきっとある

 

長くなりましたが、それだけ国を飛び越えて描くというのは大変なのです

同じくドイツが舞台となる手塚氏の『アドルフに告ぐ』を読んだ際にも思いましたが、手塚氏の勇気と努力には心から脱帽です

手塚治虫『ラインの館にて』の1コマ 愛し合っている2人
引用元:手塚治虫『ラインの館にて』-『火の山』講談社 手塚プロダクションより

愛し合っている2人

 

ネタバレとならないようストーリーを説明しすぎないことに気をつけて話しますが、序盤も序盤で主人公は夫を略奪され——早い話が失恋し——これを起点に物語は動き出します

実はそんな主人公と夫の名前が作中で明かされていません

読み終わって気づきました(遅)

 

例えば主人公が夫について考える際には(あの人)と心の中で呼んでいます

人物名を提示した方がメタ的に便利だし、キャラクターに親近感も湧くし——と思うので、手塚氏はあえて人物名を伏せている……と私は考えているのですがいかがでしょうか

 

この意図的説に基づいてその理由について考えてみます

読み進めていくと実はもう1人キャラクターが登場し、この人物もまたキーパーソンとなります

そしてこの人物ははっきりと名前が明かされている

 

この名前のついた人物こそが真の主人公なのではないか?

なぜなら、ある一面では主人公とは読者に寄り添う存在ですが、名前も知らない人間に心をひらくことはなかなか難しく、逆に1人のキャラクターの名前を(唯一)明かすことでこの登場人物を心理的に読者に急接近させた、とも考えられるから

 

現に(個人的な印象ですが)、名前のない主人公と、名前のあるそのイチ登場人物のどちらが色濃く記憶に残っているかを比べると、正直後者に軍配が上がる気がします

(繰り返しになりますが、これは私の個人的な印象で、こればかりはあなたにぜひ読んで確かめていただきたい)

 

手塚氏がどう考えていたかは残念ながらもう分かりません

正解がないのが芸術の素晴らしいところです

おすすめ|ぜひ読んでみて

アーカイブ


\ ポストしてね /