別れの後に残るもの
基本情報
著者 大白小蟹
短編 『雪の街』2018年 自費出版
書籍 『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』紙:2022年 リイド社 / 電子:同年 同社
冒頭
主人公・はるかは電車に駆け込んだ
休日で人がまばらな車内でスマホを取り出すと旧友スーちゃんから留守電が
そういえばそろそろスーちゃんの誕生日で、何をプレゼントしようか考えながら留守電を再生すると——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
電車は空いている
平日は通勤する労働者や通学する学生がたくさん乗っているため電車内はぎゅうぎゅう詰めだけど、休日はそうではないため空いている——という考えてみれば分かりやすいロジックですが、日々の生活において頻繁に意識することではないため、(言われてみれば確かにそうだよな)と胸にストンと落ちる発見ですよね
このようなちょっとした気づきを与えてくれるのって嬉しい
無味乾燥な生活がほんの少し潤う気がします
文学で言うとエッセイ(コミックエッセイというジャンルもありますが)なんかがこの提供を得意としており、個人的に好きでよく読むのですが、単純に(ありがたいな)と思うと同時に、著者の感受性の豊かさに嫉妬に近いものを覚えます
誰しもがこの豊かな感受性を身につけているわけではないから
おそらく人間は退屈を心底恐れていて(なんか面白いこと起きねーかなー)と常々思っています
しかし、別に世界は私たちを楽しませるサービス業として存在しているわけではないため、そんなしょっちゅう面白いイベントは起きてくれません
となると、私たちはなんでもない日々を最大限に楽しむ努力をしなければならない
不平不満ばかりでは進まない
という温かい戒めも与えてくれているわけです
親しい友だちのスーちゃんから留守電が
電話って古今東西多くの芸術作品で登場しますが、寝ることを忘れて夜中に長電話するエモさを演出したり、首謀者が顔を明かさず声も変え電話で脅迫する緊張感を演出したり、とにかくユーティリティなツールですよね
これはまあ電話が実生活においても(説明するまでもなく)便利なツールで——今もし電話という存在が消えたら世界は大混乱です——それが芸術においても反映されているということでしょうか
ただここでは芸術における電話の特異性についてもう少し踏み込んで考えてみたい
せっかくですから
ビデオ通話が登場してからすでに久しいですが、昔からある耳にデバイスを押し当てて声だけのコミュニケーションをする電話は、この通り話者の顔が見えません
ここがポイントではないか
目は口ほどに物を言うという諺もある通り、伝えるという場においては表情や身振り手振りも重要です
しかし電話ではこれが排され、声という単一の情報だけが受け手(読者)に提示される
(電話口の双方の登場人物が切り替わって描かれる場合もありますが)
この独特の限定されたシチュエーションが注意を引く作用を生み出しているかもしれない
ご存じの通り、人間は未知に惹かれ、不安も覚える生物ですから
電話はほとんど誰でも使ったことがあるツールで、大変身近です
そんな電話という存在について改めて考えてみませんか
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