未来を予知できるとどうなるだろう
基本情報
著者 藤子・F・不二雄
短編 『アチタが見える』1972年 ビッグコミック
書籍 『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス 1 ミノタウロスの皿』紙:2023年 小学館 / 電子:同年 同社
冒頭
小さな女の子・チコちゃんは仕事帰りのパパをバス停まで迎えに行く様子
ところが晴れているのに傘を持って出かけようとしている
当然ママは「カサなんかいりませんよ」と諭すが——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
小さな女の子・チコちゃんはこれから雨が降ることに気づいている
タイトルの通り未来が見える小さな女の子の話です
作中の序盤でも説明がありますが、未来予知はSFのみならず学術的にも研究されているんだとか
オカルトには功罪がありますが、健全に楽しむ分にはこんなにワクワクするものもありません
このコマは先述の通り、チコちゃんには雨が降るのが事前に分かっているという描写ですが、動かすキャラクターが小さな女の子というのはまさにうってつけですね
大人だったら(あるいは過剰に)冷静かつロジカルに行動してしまうため、奇妙な未来予知という力との食い合わせが良くなかったりするかもしれない
すぐに道理を理解してしまうとドキドキが尻窄んでしまう
純粋で(良い意味で)世間に疎い小さな子どもだからこそ自分の力に気づかず奔放に動き、それが物語をグイグイ進める原動力となる
また、小さなこどもは次にどう動くか予想がつきにくいため、読者である私たちもハラハラしてページを捲る手が止まらない
同じく藤子・F・不二雄氏が描いたSF短編漫画『ヒョンヒョロ』も小さな男の子が主人公です
(こちらのサイトでもいつか取り上げさせていただきたいです)
藤子・F・不二雄氏の得意なフォーマットなのかもしれません
どちらも作品としての評価が高く、(おそらく)描くのが得意で、人気も博すというのは適材適所で実にナイスです
会社の同僚を家に招く
あまり着目するような点ではないかもしれませんが、妻子ある男性が会社の同僚を家に招くシチュエーションって、時代が進むにつれて実社会で数が減ってきているんじゃないか、とふと思いました
こちらの短編漫画『アチタが見える』ではサラッと自然に描かれているものの、現代でこのようなイベントって比較的に見聞きしない気がします
(そうだとしたら寂しくもある)
特にデータがあるわけではないのですが、昔は人と人との距離が心理的に近く、一方現代は個人主義による思想の多様化によって(良くも悪くも)他者と一定の距離を置きましょう、という風潮が高まってきているのではないか
プライバシーという概念がいつ頃から市民に広がり強く意識されるようになったのか——ここに鍵があるかもしれない
……あんまりテキトーなことは言えませんね
社会学の分野で研究がすでに続けられていると思います
ともかく、リアリティのために芸術は常々社会の実態の影響を受けます
この点、もし仮に時代が進むにつれて人と人との結びつきが弱まっているのだとしたら、それは芸術の面白さに悪影響を与えるかもしれない
もちろん良い影響を与えるかもしれない
否応なしに私たちは社会実験の被験体となっているのです
こう書くと怖!
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