想像を絶する街
基本情報
著者 藤子・F・不二雄
短編 『街がいた!!』1980年 マンガ少年
書籍 『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス 10 征地球論』紙:2023年 小学館 / 電子:同年 同社
冒頭
人口増加問題解消のため山を崩して平地を増やすローラー・プロジェクトが進んでいる
大事業であり、わざわざ山の中に研究所とこれを中心とした街が造られた
主人公たちはそれらの施設に通りすがったのだが——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
研究所を中心とした街へは立入禁止
立入禁止って興味を惹かれますよね
(ダメだって言われてるんだから褒められた感覚ではないですが)
なんてことのない場所でも、入るのを禁止されると(なぜ禁止されているのだろう?)と知りたくなる
それから人間って多かれ少なかれ天邪鬼なのかもしれません
きっと根源的にそういう傾向があるのだろうと思い、行動心理学を調べてみたら、まさに禁止されるとしたくなる現象をカリギュラ効果と呼ぶらしいことを知りました
興味深いのでぜひ調べてみてください
藤子・F・不二雄氏がカリギュラ効果という用語をご存じだったか……それはもちろん分かりません
藤子・F・不二雄氏は心理学の専門家ではないし、でもすごく物知りだから耳にされたことくらいはあるかも
ただ、少なくともカリギュラ効果のような人間の心理の傾向を把握しており、それをうまく漫画という芸術に落とし込んだ
これがいわゆる観察眼ですね
こう書くと簡単なようですが一朝一夕には成し得ない
くどいようですが例えばカリギュラ効果という現象が存在することを、学術的に学ぶのと、生活の中で気づくのと、どちらが効率が良いのでしょうか?
漫画の専門学校や大学の学部がありますが、そういったアカデミックな環境で漫画の描き方を学ぶことに果たしてどれくらいの意味があるだろう?
私は外野ですから、身勝手にそういうことを考えることがあります
山の中でガス欠
フィクションってしょっちゅうガス欠が発生しますよね
それもSF、ホラー、ミステリ、コメディ……とにかくさまざまなジャンルのさまざまな場面でガス欠に陥るため、個人的には登場人物が車に乗るシーンが訪れると(もしかしてガス欠するんじゃね?)とほんの少し身構えているところがあります
実生活においてはガソリンが減ってくると親切に余裕を持って車がそれを知らせてくれますから、よっぽど気を抜かない限りガス欠に陥ることはありませんよね
きっと足を奪われるという状況がストーリーを組み立てるにおいて便利だからですね
(こう書くと身も蓋もありませんが)
舞台を変えるのに車という移動手段は便利ですが、登場人物の側にずっと車があるとピンチが訪れても車で脱出してしまうため都合が悪い
だから、ガス欠(または故障)というハプニングを被ってもらい、便利すぎる車にストーリーから退場してもらう
改めて考えてみると不憫ですね
個人的にこのようなお約束は嫌いではありません
世の中が便利になり安全を確保できるようになると、フィクションにおいて重要なハプニングが起きづらくなる
それって寂しいじゃないですか
フィクションにおいては——です
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