本にまつわる物語
基本情報
著者 つげ義春
短編 『古本と少女』1960年 Meiro2
書籍 『紅い花』紙:1994年 小学館 / 電子:2022年 同社
冒頭
古本屋で気になる本があるが1000円と高価なため買えない主人公の青年
しかしその本を手に取るとページに挟まっていた誰かの千円札がひらりと落ちた
青年は出来心でその紙幣を手にし逃げるように店を出る——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
古本屋の風景
まさに古き良き
商売というものは当事者にとって生活がかかっていますから強い哀愁を醸し出しますね
初めに申し上げますと、個人的な話ですが私は本屋や古本屋が大好きなんです
しかし寂しいことに街の本屋と古本屋の数ってみるみる減っているそうです
ネットショッピングで紙の本が買えますし、各社が電子書籍も発行している
正直、本屋も店の大きさによって品揃えに制限があって、客として足を運んでも欲しい本が並んでいなかったりする
それから電子書籍はポイントバックでお得に購入できたりする
電子で所有すれば本棚を圧迫することもない
私も近年はほとんど電子で購入します
便利さには勝てません
……書いていて哀しくなっちゃったな
コマをご覧いただくと、店主がはたき(調べて名称が分かりました)でパタパタしていますね
たしか『クレヨンしんちゃん』にもこういうシーンがあって、幼かった私は(何をしているんだろう?)と不思議に思った記憶が
埃を落としているんですね
近年は埃を吸着するハンディモップに取って代わられた
そういうわけで、はたきでパタパタは昔のあるあるだったようですが、最近は実生活においてもフィクションにおいてもほとんど見かけません
本屋と古本屋、はたきでパタパタ、そういった文化が時代が進むことによって社会から、そしてそれを反映する芸術から消えていく
こう書くとネガティブですが、文化が変遷することは避けようがなく、むしろ当然のことですから、昔の文化を芸術としてかたちを変え後世に残すというのは、貴重で素晴らしい営みであると思います
欲しい本
ジブリ映画の『耳をすませば』は、中学3年生の女の子・雫が図書館で借りたいくつかの本の記録に天沢聖司という名前があって、どんな人か想いを巡らすところから物語が展開していきました
本がきっかけとなるストーリーはそんなに山ほどあるわけではない(私が把握できていないだけかもしれない)ですが、実に名作が多くじんわり温かいですよね
本という媒体が身近でありつつどこか神秘的でもあるからだと思います
本の著者と読者という関係は表面上は著者→読者という一方的ですが、奥深くには読者が自由に解釈し人生に活かす——つまり一方向性を打破する——という営みがあり、それが高潔だからかもしれない
特にこちらの短編漫画『古本と少女』の主人公はご覧の通り青年です
成長には読書が不可欠——と私は確信しています
つまり私なりには青年が本を求める=青年に成長の兆しがあるという構図があると解釈しています
冒険モノとかで、子どもが命の危機といった苦難を乗り越えて序盤からは比べ物にならないくらい気高くしっかりとした人間に成長しますが、その冒険が読書といういくぶん静かで個人的な経験に置き換わっている
しかし、冒険に負けず劣らず読書には人(特に子ども)を成長させる力があると考えます
おすすめ|ぜひ読んでみて
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