幸福のとある側面
基本情報
著者 藤子・F・不二雄
短編 『福来たる』1981年 週刊漫画アクション
書籍 『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス 5 夢カメラ』紙:2023年 小学館 / 電子:同年 同社
冒頭
働いても働いても貧乏のままで、妻にはさまざまな小言を言われウンザリ
そんなパッとしない生活を送っている中年で係長の主人公
しかしある日、会社から自宅へ帰る際に公園で福の神と出会い——
感想|グッとくるコマ【序盤より】
同僚は独身貴族
こちらの短編漫画『福来たる』が発表されたのは1981年とのことですが、私は(この時点ですでに独身貴族という言葉が定着してたんだ)とちょっと驚きました
最近特に社会で非婚化がすすんでいるようですが(他人事みたいに言ってますけれど)、1980年代はみんなどんどん積極的に結婚していた時期ではないか
いや、だからこそ独身という存在にフォーカスが当たってこのような言葉が生まれたのか
とにかく、独身貴族、今でも割と見聞きしますよね
ということは、この言葉は長く活躍しているベテラン選手でもある
個人的に、言葉から時代を感じられるなんて子どものころにはあり得ませんでした
年齢を重ねるというのは寂しいことも多いですが、こうしてノスタルジックな気持ちに浸れるのは良いところです
藤子・F・不二雄氏は1996年に亡くなられていますから、当然作品もそれ以前に描かれたものです
古典だともっと過去のことを指すので言い過ぎですが、その作品群は古き良きであると私は考えます
そんなちょっと昔でありながら、現在、いや間違いなく未来でも愛される——つまり古いけど新しいという不思議な体験が得られるところが、魔法のようだとよく思います
福の神っぽい
小難しい話題かもしれませんが、芸術を享受するうえで受け手には教養が必要とされるでしょうか?
逆に言えば、学がない人間は作品を充分に楽しむことはできないでしょうか?
私はこちらのコマにも描かれている福の神という存在をぼんやり認識していました
同様にこちらのコマには福の神の特徴として
(1)手に小槌
(2)ゾロッとした着物
(3)広いおでこ
(4)福耳
が挙げられていますが、私が認識していたのは(1)手に小槌と(4)福耳だけでした
(2)のように確かに着物は着ていると記憶しているけれど、それがゾロッとしたスタイルだという印象は持っていないし、(3)のようにおでこが広いというイメージは全くなかった
七福神の名前を全員挙げろと言われても完答できない、正直
寿老人と福禄寿が鬼門
作中で主人公のおじさんはピンときたようですが、私は上記のように半分しかピンときていないため遅れをとっているわけです
これってほんの少しショック
私の勉強不足ですけれど
短編漫画には学びがたくさんあります
同時にこれまで学んできたことを試されもする
ただの娯楽を超えたものがそこにはあるのかもしれない
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