恐怖との闘いの果て——
基本情報
著者 藤子・F・不二雄
短編 『流血鬼』1978年 週刊少年サンデー
書籍 『藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス 8 流血鬼』紙:2023年 小学館 / 電子:同年 同社
冒頭
吸血鬼の胸に杭を刺して仕留めた少年
そのまま街を出ようとするが、街には吸血鬼が出歩いており、十字架でなんとか撃退する
そして隠れ家である洞穴に駆け込み、同じく生き残っている友人と人間たちの反攻を願う——
感想|グッとくるコマ〈序盤より〉
突然カットが挿入される
ストーリーを読み進めていると、突然真っ白な背景にこちらのカットが左隅に描かれているだけというページが訪れます
はじめ、私が認識していないだけで連作短編だったのだろうかと思いましたが、実はそうではないみたいです
初出一覧が記されたページに理由が書かれていました
1 雑誌掲載時、このページには広告が掲載されていた
2 著者が意図したページめくりの効果を保つため、代わりにこのページにはカットを挿入した
とのこと
驚いたことが2つあります
1つ目は、昔は本当にストーリーの途中に広告が挟まれていたんだ、ということ
実はそういう文化があったらしいという(あくまで)話は聞いたことがありました
例えば、荒木飛呂彦氏の『ジョジョの奇妙な冒険 Parte5 黄金の風』、原作 牛次郎氏 漫画 ビッグ錠氏の『スーパーくいしん坊』も雑誌掲載時にはコマの一部が広告だったため、単行本でそのコマにあとから画が追加されたという
今ではこの文化は全くなくなりましたね
いざ目の当たりにして、ある種の歴史的価値でもあるように感じました(本当に)
2つ目は、藤子・F・不二雄氏はページめくりの効果をこれほど大事にされていたんだ、ということ
確かにこちらの短編漫画『流血鬼』における重要な場面転換は、必ずページをめくった先で起こるように構成されています
気づいた時は(おお……!)と語彙力が追いつきませんでした
この微に入り細を穿つ姿勢はまさしく職人で、また一つリスペクト
コロナを予言……?
タイトルである『流血鬼』の通り、それから序盤ですぐに分かるのですが、吸血鬼が人間を襲う物語です
世界が荒廃する前の彼らにとってそれはニュースの中の出来事であり、すごく気にする人と全然気にしない人がいる
メディアは煽り、人々は分断され、しかし突然ある人にとっては身近な事件として襲いかかる
吸血鬼が人間を噛んで、その人間を吸血鬼にし、さらにこの吸血鬼が人間を襲って、世界を支配していく——これって伝染病に仕組みが似ていますよね
となると、どうしても私としてはコロナが思い浮かぶ
コロナという単語を発すると、ほんのり緊張感が走りますね
コロナについて書くのはやめておきます
まだ充分に時間を経ていないから
ただ1つ書きたいのは、物語はしばしば世界を予言することがあるみたいだ、ということです
……予言というのは大げさかもしれませんね
伝染病なんて有史以来、例えばコレラ、ペスト、スペイン風邪などなど繰り返されてきました
またそのうち伝染病は流行ります
ですが、こうして世界の道理を芸術として残しておくことで、人々は警鐘を鳴らされ、しかし、それはままあることなんだと安堵もできる
芸術の役割の1つですね
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