しっかり繋がっている——
基本情報
著者 高橋留美子
短編 『炎トリッパー』1983年 週刊少年サンデー
書籍 『高橋留美子傑作短編集 2』紙:1995年 小学館 / 電子:2017年 同社
冒頭
学校帰り、隣に住んでいる幼い周平くんと会った女子高生の主人公・涼子
周平くんの手をひいて歩いていると、なんとガス爆発に巻き込まれた
目を覚ますとそこは戦国時代の戦場で——
感想|グッとくるコマ〈序盤より〉
普通の女子高生
これから起こる大事件を前に、主人公の女子高生が普通の人間であるということが印象づけられれている
こういうパターンってしばしば見られます(結構好きです)
前提として普通さ——ある種難しい概念です——がフィクションにおいて強調されるようになったのはいつからだろう
作品って山ほどあってデータをとるのは途方もない作業だと思います
世界最古の長編小説とも呼ばれる『源氏物語』は皇族や貴族——つまりやんごとなき方たち——の話でしたよね
昔話の『桃太郎』も桃から生まれる(諸説あり)時点で普通ではない
あなたはどう思われますか?
わなわなわな
体が震えていることを示すわなわなという擬態語ですが、使われているのを見るのは割と珍しいですよね
世代の問題かもしれない
それから漫画や小説ではたまに見かけますが、実生活ではあまり使わない種類のものでもある
私はこのわなわなという擬態語の意味をどこで初めて認識したのか……それも憶えていない
ですが、このようなフィクションでしか見たことがない——が結構好きです
パッと思いつくのはゲスい奴の「へっへっへ……」という笑い方
実生活では聞いたことがない
でも繰り返しますが、独自の文化ってやはり良いものです
仲間を宥める
宥めるという言葉の意味そのものですが、誰かに——特に主人公に——敵意を向けた仲間に「やめろ!」と注意するシーンって個人的にグッときます
まずは敵意を向けられた——こちらのコマでは主人公の女子高生ですね——を守るという凛々しさが示されるから
それから、仲間への叱責は前提としてその仲間との信頼関係があって、しかも大事に思っているからこそ行われる行為だから
そもそも仲間と思っていない、あるいはただの利害関係で繋がっているのみであれば、叱責という逆恨みされるかもしれないリスクを負った行為はしないかもしれません
人間っていいな
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